国指定史跡 伊能忠敬旧宅 (指定:昭和5年4月25日 面積:639.21平方メートル) 店舗・正門・炊事場・書院・土蔵からなります。 伊能忠敬が17歳で伊能家に婿養子に入り、主な家業である酒造業を営んだ家です。 昭和20年代まで伊能家の住居として使われ、伊能家資料を守り公開した場所です。 江戸時代当時から比べると、家の規模が縮小していますが、商いを行った「店舗」は、土蔵だった 建物を店に作り変えています。 そのため、帳場奥の座敷は七畳半が二間という形になっています。 また旧宅奥にある「土蔵」は、観音開きが普及する以前の、扉が引き戸形式の残る佐原での数少 ないもので、これら江戸時代の雰囲気がよく残っています。 *************************************** ● 正門を入ります。 ● 店舗 店舗は、江戸時代の土蔵を改造して、当時店として使っていました。 幅一間の「ちょうば」、七畳半2部屋の「ざしき」があり、「どま」の上には小屋裏があります。 店舗の耐震補強〜文化財と人命を守る〜 店舗は震災以前から公開していましたので、今後も、公開を行うため、お客様の安全を確保するこ とが必要になります。 店舗は、開口部が多く、壁で補強することが困難なので、鉄骨で補強を行いました。 鉄骨が露出している部分がありますが、安全のためです。 ● 炊事場 象限儀(しょうげんぎ) 緯度を確定するために星の高度を測った道具。 望遠鏡をのぞいて見える星の高度から緯度を求める。 (1)黒い望遠鏡の穴をのぞく。 (2)星が見えたときの高度が緯度を示す。 半円方位盤 遠くの山までの方位を測る道具 店舗奥炊事場の耐震補強〜文化財と人命を守る〜 炊事場も公開を続けるために、耐震補強をほどこしました。 炊事場も店舗と同様に開口部が多く壁で補強することが困難なので、鉄骨で補強を行いました。 造作で隠れる部分がほとんどないので鉄骨の多くが露出しています。これも、安全のためです。 ● 書院 書院の壁・柱・瓦〜文化財を残す〜 文化財の修理は、使える部材は残すように行います。部材そのものが貴重な文化財だからです。 書院の壁の多くは補強のために解体しましたが、垂れ壁は残せるものは残しました。 柱も使える部分は残して、新材でつないでいます。 瓦も修理前に葺いてあった瓦を残した部分があります。 書院 耐震補強〜文化財と人命を守る〜 書院も公開を続けるために、耐震補強をほどこしました。 書院は鉄骨ではなく木材裏と床下には補強材を入れ柱を固定し、壁は合板を入れました。 補強後、天井と床をつけ壁には壁土塗ったので補強材は見えませんが、安全は確保しています。 書院の半解体整理〜文化財の外科手術〜 書院は震災で家屋が傾いたので、部材の多くを分解、調査し、しかるべき修理方針のもとに組上 げる、半解体修理を行いました。 正門、炊事場を含めた店舗と土蔵については、すでに、半解体修理を行っていましたが、書院は、 今回はじめて大がかりな修理を行いました。 ● 伊能忠敬先生之像 この一歩から 測量の日 ● 史跡 土蔵 土蔵は土の壁を厚く塗って耐火性をもたせた倉庫で、穀物類を収納したものです。 この土蔵は忠敬が佐原に養子にくる以前に、あったもので江戸時代中期の建造物です。 構造物は木造切妻造、桟瓦葺、桁行7.28m、梁間4.53m、建坪は46.228平方メートル(14坪)です。 昭和59年解体したとき土蔵内部から文政5年(1,822)の修理墨書銘が発見されました。 この建物は前の構造のまま復元されたものであります。 教育委員会 ● 伊能忠敬家家訓書 (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |