(飯盛分店HPよりお借りしました) (画像をクリックすると大きくなります) << さざえ堂 >> ● 階段を上り「さざえ堂」へ。 ● さざえ堂 旧正宗寺三匝堂(さざえ堂) 一棟/国指定重要文化財(建造物) 昭和57年3月30日指定 所在地 会津若松市一其町大字八幡弁天下甲1404番地 所有者 飯盛正日 六稜三層形式向拝付、銅板葺き(もと木羽葺き) 「さざえ堂」の通称があり、高さ約16.5mで初層真径約6.3mの六角形平面に回縁を付け、正面には 唐破風の向拝を付している。 正面から入ると右回りに螺旋状のスロープで登り頂上の太鼓橋を越えると降りの左回りスロープと なって背面出口に通じる。 昇降を通じて建物内を三度回ることになるところから三匝堂の名がある。 スロープの内側に沿って西国札所の三十三観音像が祀られ、一度入ると巡礼を終えたことになる という、いわば江戸時代における庶民のための身近な巡礼の建物であった。 「新編会津風土記」には「円通三匝堂」と見え寛政8年(1796)の造立と記され、また会津若松の実 相寺の僧郁堂の建立とされている。 仏堂建築としては、他に例を見ない特異なもので、6本の心柱(円柱)と同数の隅柱(六角柱)を駆使 して、二重螺旋のスロープを造り上げた考案者である郁堂と棟梁の創意と技術には大きな意義が ある。 福島県教育委員会 * (円通三匝堂(さざえ堂)建立 郁堂禅師/謚名 源正郁) 明治になり神道を信仰しため神仏分離令によって 三十三観音像は取り外されました。 明治23年には堂内の観音像があった場所に白虎隊十九士の霊像が安置。 のちに会津藩の道徳の教科書であった第8代藩主松平容敬(かたたか)公の編纂された「皇朝二十 四孝」の絵額が掲げられ、現在に至っています。 右回りに螺旋状のスロープをのぼっていくと、所々に絵額や説明文などが掲げてあります。 * (右回りにのぼって)・・・(微妙) * (美濃孝子)・・・(橘エ勢朝臣女/たちばなのなやなりあそんが女) * (僧某) * (内部と反対の階段がみえます)・・・(衣縫金継女/きぬぬいのかなつぐが女) * (繪屋勘兵衛/えやかんべえ) * (鎌倉孝子)・・・(丸部明麻呂/まるべのあきまろ)・・・(内部がみえます) * (丈部路租父麻呂/たけべじのそふまろ)・・・(丹生引吉) * (倭果安奈良許知麻呂/やまとのはたやすならのこちまろ) * (大江擧周/おおえたかちか)・・・(源雅實公) * (仁明天皇) * (顯宗天皇/けんぞうてんのう)・・・(藤原伊周/ふじわらこれちか)・・・(兄媛/えひめ) (画像をクリックすると大きくなります) |
左回りにスロープを下っていきます。 * (スロープを下って)・・・(源光圀卿) * (役小角/えきのこすみ)・・・(紀夏井/きのなつい) * (山田古嗣/やまだのふるつぐ) * (随身公助/ずいしんきみすけ) 出口の脇に 飯盛山正宗寺開祖 残夢大禅師(謚名 源正開) の像があります。 * (右画像/飯盛山正宗寺開祖 残夢大禅師) 外に出ると、 石碑 春燈主宰 成瀬櫻桃子(なるせおうとうし)先生句碑 天高し ピサの斜塔と さざえ堂 平成10年10月31日 除幕 春燈會津天寧寺句會 (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |