(5)神橋

                          


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   ● 神橋
        聖地日光の表玄関を飾るにふさわしい朱塗に映える美しい神橋は昔は「山菅の蛇橋」などと呼ば
        れ、日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財に指定され平成11年12月に世界遺産に登録さ
        れました。
        橋の長さは28m、巾7.4m、高さ(水面より)10.6mあり、高欄には親柱10本を建て、それぞれに擬
        宝珠が飾られ(乳の木/らのき)と橋板の裏は黒漆塗で、その他は朱に塗られています。
        奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、寛永13年
        に現在のような神橋に造り替えられてから、もっぱら神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参
        向のときのみ使用され、一般の通行は下流に仮橋(日光橋)を架けて通行することとなりました。
        昭和57年男体山頂鎮座1200年祭斎を目的として、広く一般に公開され、平成9年より今回の大修
        理が行われました。
        山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(山口
        県錦帯橋、山梨県猿橋)の1つに教えられています。

                       


                          


   ● 神橋の鳥居の手前に、「渡橋券発行所」があり、鳥居脇には石柱「下乗」がたっています。
            営業時間  4月〜10月 8:30〜16:30   11月〜3月 9:00〜15:30  無休
            渡橋料    大人300円  高校生200円  中小生100円
        下乗(げじょう)
           これより先は神域なので乗り物(駕籠(かご)や輿(こし))から下りて入りなさい

                         


   ● 渡橋入口を入ると、神橋修理工事時の古材が展示されています。
         神橋古材展示について
           古(いにしえ)からの山岳信仰の根強い歴史と影響力、それを背景にした二社一寺の建造物群の
           存在、この両立する風土が一体となって江戸時代初期に改めて整備された聖地日光は、徳川幕
           府による国家をあげてに造替、修理工事がほぼ二十年間隔で継続して行われ、その荘厳な偉容
           が保持、継承されてきました。
           このような維持修理工事は、明治維新後も幾度か荒廃の危機をのり越え、昭和の大修理を経て
           今日の文化財保存修理事業に引き継がれ、この弛みない保存管理、継承の体制が建築の価値
           と共に世界的に高く評価され世界文化遺産登録がなされました。
           ここに関係機関の許可を得て、神橋修理工事時の古材を展示し、文化財保存修理事業がいかに
           必要であるかの一例を示し、文化財保護愛護の精神の普及に務めるものであります。
                    展示期間    平成19年10月〜平成25年8月迄

                          


                  


                          


   ● なで石
        気持ちをこめてこの石をなでると、心が丸く豊かになり夢がかなうといわれる。

                  



   ● 神橋へ 

                  


   ● 橋姫社
        橋姫さまの祈り
          二荒山神社神橋には「橋姫神」という姫神様が祀られています。
          対岸の深沙大王と共に男女一対となり橋の守護神として、橋の恒久的な安泰と橋を渡る人々の
          安全を祈っています。
          そして橋姫神は日光の聖域との間を取り持ち結ぶ力を持ち、良い縁を結ぶ神様として多くの人々
          の崇敬をあつめ、願いを込めて神橋を渡ると心が豊かになり元気がでてきます。
          又この橋を渡り結婚式を挙げた二人は末永く夫婦円満・家庭円満で幸せになると云われています

                                 


   ● 神橋を渡ります。

                  


   ● 神橋の伝説
       奈良時代の末、下野の人沙門勝道(さもんしょうどう)は、その伯父・大中臣諸清たちと、深く尊崇する
       霊峯二荒山(男体山)に登頂によって鎮護国家、人民利益のための大願をたてました。
       天平神護2年3月(766年)勝道上人一行は大谷川たどりつき川を渡ろうとしましたが、岩をかんで流れ
       る大谷川の激流のたっめ渡る方法がなく、こまりはてました。
       上人は一心に祈念を凝らすと、川の北岸にひとりの神人が現れました。
       その姿は夜叉のようで、身の丈一丈余、左手は腰にあんじ、右手に二匹の蛇をまき、上人に向って
         「我は深砂大王(しんじゃだいおう)である。汝を彼の岸に渡すべし」
       といいながら手にもった蛇を放つと、赤と青二匹の蛇は、たちまち川の対岸とを結び、虹のように橋を
       つくり、背に山菅が生えたので、上人一行は早速これによって急流を渡ることができたといいます。
       ふり返って見ると、神人も蛇橋もすでに消え失せてしまっていたので、上人は合掌して、深砂大王の
       加護に感謝し、それ以来この橋を山菅の蛇橋と呼んだといいます。

    * (深沙王堂)

                          


    * (神橋の四季)

                

 
   ● 構造上の特色・特長
        神橋は木製の橋で石の橋脚に支えられ、全体が漆塗りで高欄や飾り金具が付いている全国でも
        非常に珍しい橋です。
        中禅寺湖から華厳の滝を落ちて流れる大谷川に架けられ、長さ28m・幅7.4m・水面からの高さ
        10.6mあります。
        奈良時代にはじめて架けられ、江戸時代初期に現在の形になりました。
        乳の木と呼ばれるケヤキ材の橋桁を両岸の地面や岩盤に埋め込んで、鳥居の形をした石の橋脚
        で支え、両岸から伸びたケヤキ材を別の1本でつないでその上に橋板を渡しています。
        両端と中央にそれぞれ3本ずつ計9本の乳の木で構成されます。
        また雨や雪などから守る為に橋桁に小屋根が掛けてあり、その上に橋板が置かれています。

                             


                          



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                               ● (入口へ) ●

 

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