(3)中御門跡

                                


                           (広島城HPからお借りしました)

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   ● 本丸方面に向かうお堀手前に、ユーカリ(被爆樹木)があります。
        ユーカリ(被爆樹木)
           爆心地から740m。 この場所で被爆しました。
           被爆して生き残っているユーカリはこの木だけです。

                     


                  


   ● マルバヤナギ(被爆樹木)
         爆心地から770m。 ここで被爆しました。
         被爆して生き残っているマルバヤナギはこの木だけです。

                     


   ● 中御門跡
         被爆後の猛火で石垣は赤く変色しています。

                     


                          


   ● 石垣への階段を登ると、表御門・平櫓・渡櫓・太鼓櫓がよく見えます。

                  



                  


   ● 中国軍管区司令部原爆慰霊碑について
        明治6年此処広島城内には広島第五鎮台が設置され、その後第五師団司令部となりました。
        爾来その隷下部隊は、萩の乱、西南の役、日清戦争、日露戦争、北清事変、シベリア出兵、など
        幾多の戦役に際し、常に我が国軍の一翼として活動しました。
        一連の日華事変、太平洋戦争において第五師団出兵後の広島では、留守第五師団司令部、広
        島師団司令部、広島師管区司令部、中国軍管区司令部と名称、組織使命はその都度変化しなが
        らも多くの師団、旅団を編成して送り出し、補充を行ってきましたが、昭和20年8月6日午前8時15分
        原子爆弾の一閃により壊滅し、事実上の終焉を迎えました。
        被爆当時中国軍管区司令部に勤務しておりました軍人軍属の死没者の数につきましては諸説があ
        り定かではありませんが、この地で被爆した軍人軍属並びに学徒動員のさなかにこの地で被爆した
        旧比治山高等女学校関係者を中心に結成した「広島師友会」は、以来、盟友の慰霊碑の建設と慰
        霊式の開催を中心に活動してまいりました。
        毎年8月6日午前8時より、この地におきまして比治山女子中学高等学校の主催により原爆死没者
        の慰霊と共に二度と戦争のない平和な社会の実現を目指す誓いの場として追悼式が執り行われて
        おります。
         連絡先 比治山女子中学高等学校 広島市南区西霞町5-16 平成19年7月8日 広島師友会


                                 


   ● 中国軍管区司令部の地下通信室(爆心地から約700メートル)
        広島城とその周辺には、多くの軍事施設(中国軍管区司令部など)があり、ここには半地下式の作
        戦司令室、通信室が設けられていました。
        この通信室では、多くの軍人、軍属に混じって、学徒動員された比治山高等女学校の女学生たち
        も働いていました。
        原爆で、市内の電信電話は破壊されたが、かろうじて残ったここの軍事専用電話を使って、女学
        生が広島の破壊を通信した。
        これが広島の原爆被災の第一報といわれている。
                  (被爆後の通信室周辺 1945年10月 米軍撮影)


                          


                          



   ● 本丸下段

                          


                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●



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