(画像をクリックすると大きくなります) << 名木/弘前枝垂れ−→名木/御滝桜−→名木/鶴の松(アイグロマツ)−→亀石−→ −→南口券売所−→武者屯御門跡−→下乗橋−→名木/二の丸大シダレ−→ −→辰巳櫓−→東内門−→−→名木/カスミザクラ−→名木/ソメイヨシノ−→ −→与力番所−→−→玉鹿石−→二宮尊徳像−→丑寅櫓 >> ● 天守を出て、下乗橋方面に向かいます ● ● 弘前市古木名木 弘前枝垂れ 樹木名 シダレザクラ 幹周 307cm 樹高 約5.4m 植栽 大正3年(1914) 大正3年に在弘宮城県人会の寄付により植裁されたシダレザクラの内の1本である。 この樹は、似た環境にある御滝桜よりも開花が3〜4日早く、時々花弁の枚数が7〜8枚となり 普通のシダレザクラとは異なることから、「弘前枝垂れ」と呼んでいる。 ● 弘前市古木名木 御滝桜 種名 シダレザクラ(バラ科) 幹周 305cm 樹高 約7.4m 植栽 大正3年(1914) 大正3年に在弘宮城県人会の寄付により植栽されたシダレザクラの内の一本である。 この時のシダレザクラが成長して、今ではシダレザクラの名所にかぞえられるまでになった。 この樹は、石垣の上から水面に向かい長く枝を垂らしており、故棟方志功画伯が「御滝桜」と 命名した名木である。 ● 弘前市古木名木 種名 鶴の松 アイグロマツ(マツ科) 幹周 2.4m 樹高 6m 推定樹齢 300年以上 由来 鷹揚園内随一の名木である。 老鶴形に仕立てられ美しく優雅な形をしているところから「鶴の松」とよばれている。 向いの石垣の中心に「亀の石」とよんでいる大石があり、並び称されている。 ● 亀石 本丸南側の枡形石垣には、入城者を威圧するため巨石(亀石)を据えられています。 ● 振り向くと天守がよく見えます。 ● 下乗橋手前に「南口券売所」・「武者屯御門跡」があります。 武者屯(むしゃだまり)御門跡 長勝寺構の黒門と同様の高麗門形式で、門扉は二枚扉であった。 番所があり更に門の両脇に袖塀があったことが古い写真からわかる。 二の丸と下乗橋で区画され、本丸に連絡路で続くこの一郭が「武者屯」で、合戦の際には大将 が軍装を整えて号令を発する場所である。 * (南口券売所)・・・(武者屯御門跡) ● 下乗橋(げじょうはし) 本丸と二の丸を結ぶ橋で、この橋の二の丸側に下馬札があり、藩士は馬から降りるように定めら れていた。 築城当初、橋の両側は土留板だったが、文化8年(1811)に石垣に直したものである。 以前は擬宝珠(ぎぼし)が十二支をかたどったものであった。 ● 二の丸大シダレ(種名:シダレザクラ) このシダレザクラは、大正3年(1914)に宮城県人会から寄付されたうちの1本。 園内では最も太いシダレザクラとして親しまれており、さくらまつり期間中にはライトアップが施され、 写真スポットとして人気があった。 平成23年12月26日の大雪により根元から倒れたが、24年1月に主幹の3分の1を切除して立て直 したものである。 ほとんどの根が切断されたため、再生に向けて現在治療中である。 ● 弘前城二の丸辰巳櫓 城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られたもので、防弾・防火のために土蔵造りとなって いる。 一・二層は四間四方の同面積であるが、三層目を小さくし、屋根は入母屋にしている。 この櫓で、藩主が三の丸を通る弘前八幡宮の山車行列などをご覧になった。 * (二の丸辰巳櫓)・・・(天守がよく見えます) ● 東内門 三の丸東門から本丸に向かうと、ほぼ一直線上にあるのがこの東内門です。 南内門とともに、二の丸に現存する2つの城門となります。 門をくぐって本丸を眺めるとすぐ、天守の姿が目に入ってきます。 ● 弘前市古木名木 種名 カスミザクラ(バラ科) 幹周 120cm 110cm 74cm 樹高 約13m 推定樹齢 295年以上 正徳5年(1715)に藩士が京都から桜の苗木を25本持参し城内に植えたものの1本である 元の幹は朽ちてしまったが、ひこばえが成長して毎年美しい花を咲かせている。 カスミザクラは津軽地方にも自生し、花が白いので遠くから見ると霞のように感じられるこ とから名づけられたものである。 ● 弘前市古木名木 種名 ソメイヨシノ(バラ科) 幹周 410cm 樹高 約9m 植栽 明治15年(1882) 旧藩士の菊池楯衛から明治15年に寄贈されたもので、現存するソメイヨシノでは、日本 最古である。 ソメイヨシノは成長が早いわりに寿命が60年から80年とされていたが、弘前公園のソメ イヨシノは樹齢百年を越すものが三百年以上あって立派に花を咲かせていることから、 その管理技術は多くの専門家から日本一と絶賛されている。 ● 与力番所 弘前城には城内の主要な場所12箇所に与力番所が設けられました。 この建物は二の丸東門に設けられたもので建築工法から江戸時代中期に建てられたと推定され ています。 (墨書には江戸時代初期に建てられた三の丸東門と酷似している所から、古材により建て替え られたと思われます) 木造2階建て、入母屋、銅板葺き、1度曳家移築されましたが昭和54年から復元工事が行われ 現在地に再度移転保存されています。 ● 天然記念物 玉鹿石 青森県金木町が原産のにしき石の一種です。 藩政時代から多くの人々に親しまれ、にしき石の中でも質の高い銘石として知られます。 岩石の中に直径0.5〜1.5ミリメートルの丸い粒が散在しているのが特徴です。 公園関係者によれば、園内に玉鹿石があるのは、景観を好ましくするための景石として設置された ものではないか、とのことです。 ● 二宮尊徳像 (二の丸 丑寅櫓前の池山) 1935年(昭和10年)、弘前商工会議所により建立されました。 二宮尊徳像は、雪が降る季節になると藁で織られた笠や衣装を身にまとうことから、公園関係者の 粋なはからいが感じられます。 ● 弘前城二の丸丑寅櫓 城郭に取りつく敵への攻撃や、物見のために造られ、防弾・防火のために土蔵造りで、 銅版葺( 最初はとち葺)となっています。 軒下や出格子の木部は素木のままで飾り気がないが、独特の美しさを見せる。 櫓の方向を(天 守から見た方角)を十二支で示したもので、丑寅は北東に当たります。 (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |