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<< 大広間−→玄関(式台)−→玄関の間(10畳)−→ −→控の間(6畳)−→控の間(6畳)−→北縁−→中廊下 >> ● 大広間(18畳) 佐藤彦五郎が名主の仕事をしていたと伝えられる。 大黒柱はケヤキ材。 土間から上がってすぐのところにある18畳の部屋で、この建物で最も広い名主の執務スペースや、 村役人の会合用の部屋などとして用いられたと考えられる。 なお土間と床の段差は約80cmもある。 当時は床が高いほど格式が高かった。 ● 玄関(式台) 賓客を迎い入れる場で、式台と呼ばれる板の間が設けられている。 日野宿本陣はこの玄関から西側(門から見て右側)が賓客をもてなす空間、東側(門から見て左側)が 日常生活の空間として使い分けられていた。 日常的な建物への出入りは土間の大戸が用いられていた。 大名や幕府の役人などの身分の高い旅客が休憩・宿泊するために用いる特別な玄関。 新撰組で名を上げた後に日野を訪れた近藤勇や土方歳三も、この玄関を用いたと考えられる。 式台と呼ばれる板の間には、絵が彫られています。(左/瓢箪 右/栗 かな?) ● 玄関の間(10畳) 土方歳三が玄関の間で昼寝をしていたという伝承が残されている。 釘隠し(中) ● 控の間(6畳) 本陣の上段の間に滞在している客のお供の控室だった部屋。 箱館(函館)から土方歳三の遺品を届けた小姓の市村鉄之助が、2年間にわたりこの部屋に匿われ ていたと伝えられる。 梁の釘隠しは福を招くとされるコウモリの意匠。 ● 控の間(6畳) 小野湖山筆/七言絶句 ● 北縁 ● 中廊下 (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |