(9)井伊直弼像→馬屋→駐車場

               


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     << 石碑(遠城謙道)−→井伊直弼像−→花の生涯記念碑−→馬屋−→二の丸駐車場 >>



   ● 玄宮園を出て二の丸駐車場に向かうと、途中の桜場駐車場脇に石碑(遠城謙道/おんじょうけんどう)
      が建っています。
           遠城謙道は、旧彦根藩士で通称遠城平右衛門といい、文政6年(1823年)に彦根で生まれた
           15歳で鉄砲隊に入ったが、藩医「堀田道策」に医術を学んだのを始め、儒学や画も学ぶなど
           し特に禅の修行を積んだことで武士の魂を磨いた。
           桜田門外の変における、大老井伊直弼公の横死の後、悲憤の余り主君の旧恩に報じようと
           同志と喋り老中に抗弁するも、果たすことができなかった。
           追い腹は犬死と判断し、僧となりお墓守を勤める決心をし、井伊家菩提寺の清涼寺「俊竜和
           尚」の元で仏門に入り、名を「謙道」と改めた。
           慶応元年(1865年)、妻と6人の子供を残した謙道は、江戸における井伊家の菩提寺、豪徳寺
           (東京都世田谷区)に移り、直弼公の墓側に庵を建て終生掃墓、読経をし霊を慰めること実に
           37年に及んだ。
           「開国始末」の著書、島田三郎氏は清節堅操優に、士人の典型また僧侶の模範と謙道翁の
           至誠至忠が讃されている。

                         


       井伊直弼(1815-1860)
          開国の英雄井伊直弼は、文化12年(1815年)に彦根城下の下屋敷(槻御殿)に生まれ、嘉永3年
          (1850年)36歳で彦根藩主となり、安政5年(1858年)には江戸幕府の大老職となった。
          同年6月、直弼は我国の将来を考えアメリカとの開国を英断。
          この大偉業をなしとげた直弼は、心情をくむことのできなかった人々によって安政7年(1860年)
          3月3日桜田門外で暗殺され46年の生涯に幕を閉じた。

                         


                             


       花の生涯記念碑
          世情騒然たる幕末に、開国の英断を下した大老井伊直弼の波乱に富んだ一生を描いた小説
          「花の生涯」(作者 舟橋聖一)が発表され、人々に深い感銘を与え、映画・演劇として、また特
          にNHKテレビドラマを通して世の絶賛を博し、「花の生涯」ブームをもたらした。
          このことを記念して昭和39年10月25日に建立されたものである。
          中央の四角い石を大老井伊直弼にみなし、左右の低い石を長野主膳と村山たか女とし、キラ
          キラと輝く砂は雪をあらわし、波乱にみちた「花の生涯」を物語っている。

                         


   ● 内堀の脇を進み二の丸駐車場に向かいます。

                         


   ● 二の丸駐車場脇に馬屋があります。
        馬屋(需要文化財)
           元禄時代に建てられ、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていた。
           昭和43年に解体修理され、こけら葺きの屋根が美しい。
           城内に残る馬屋は彦根城だけである。

    * (馬屋)・・・(二の丸駐車場)

                         


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                               ● (入口へ) ●


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