(画像をクリックすると、大きくなります) << 山崎郭−→黒門橋 >> ● 山崎郭方面に向かうため桝形になっている道を下り、大堀切に架かる橋を渡ります。 * (大堀切に架かる橋) 大堀切と出郭(でぐるわ) 西の丸三重櫓の外には、裏手からの敵の侵入を阻止するため、尾根を断ち切るように大堀切が設 けられている。 大堀切に掛かる木橋の外にあるのが「馬出し」の機能を持った出郭である。 「井伊年譜」には、この出郭の石垣は、石工集団として知られる穴太衆(あのうしゅう)が築いたと伝 えられている。 * (西の丸三重櫓) ● 山崎山道を下ります。 ● 下の道に出ると標識(←大手門・梅林 ↓三重櫓・天守閣 黒門・玄宮園→) 標識に従い左折し山崎郭方面へ。 * (山崎郭方面へ) 道は突き当たり山崎門があり、道は大きく左にカーブしています。 右側は山崎郭ですが、建物などはなく多くのサクラの木が植えられています。 * (山崎門)・・・(山崎郭) ● 来た道を戻り、黒門橋に向かいます。 * (分岐/三重櫓・天守閣)・・・(黒門橋手前) ● 黒門事務所を通り、黒門橋を渡ります。 * (黒門事務所) 彦根城 この彦根城は、慶長5年(1600年)井伊直政が、関ヶ原の戦いに徳川四天王の一人として抜群の功 をたて、この戦いに敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、慶長6年(1601年)上野の国高崎 城から佐和山城へ移ってきた。 その後、直政は城を彦根山に移そうと考えたが実現せず病死、慶長8年(1603年)その子直継が父 直政の遺志をうけて彦根城の築城に着手した。 時の将軍家康は特に奉行を差し向け7ヶ国12大名にも応援させ、元和8年(1622年)現在の彦根城 が完成、築城をはじめてから実に20年の年月を要したもので、城地面積約0.25km2(75,800余坪)周 囲約4km(1里)高さ約50mの彦根山に築城した平山城である。 昭和26年(1951年)に彦根城天守閣をはじめ天秤櫓・太鼓門櫓・西の丸三重櫓・佐和口多聞櫓を重 要文化財に指定され、さらに同27年(1952年)には天守を国宝に、同31年(1956年)には彦根城一帯 を特別史跡に、同38年(1963年)に馬屋を重要文化財にそれぞれ指定されている。 また新日本観光地百選の一つとして琵琶湖八景「月明彦根の古城」として知られている。 * (黒門橋) (全景は、パノラマでご覧ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |