(6)山崎郭→黒門橋

               


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   ● 山崎郭方面に向かうため桝形になっている道を下り、大堀切に架かる橋を渡ります。

                  


    * (大堀切に架かる橋)

                  


     大堀切と出郭(でぐるわ)
        西の丸三重櫓の外には、裏手からの敵の侵入を阻止するため、尾根を断ち切るように大堀切が設
        けられている。
        大堀切に掛かる木橋の外にあるのが「馬出し」の機能を持った出郭である。
        「井伊年譜」には、この出郭の石垣は、石工集団として知られる穴太衆(あのうしゅう)が築いたと伝
        えられている。

                        


    * (西の丸三重櫓)

                  


   ● 山崎山道を下ります。

                  


   ● 下の道に出ると標識(←大手門・梅林 ↓三重櫓・天守閣  黒門・玄宮園→)
      標識に従い左折し山崎郭方面へ。

    * (山崎郭方面へ)

                         


     道は突き当たり山崎門があり、道は大きく左にカーブしています。
     右側は山崎郭ですが、建物などはなく多くのサクラの木が植えられています。

    * (山崎門)・・・(山崎郭)

                  


                  


                  


   ● 来た道を戻り、黒門橋に向かいます。

    * (分岐/三重櫓・天守閣)・・・(黒門橋手前)

                  


   ● 黒門事務所を通り、黒門橋を渡ります。

    * (黒門事務所)

                         


     彦根城
        この彦根城は、慶長5年(1600年)井伊直政が、関ヶ原の戦いに徳川四天王の一人として抜群の功
        をたて、この戦いに敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、慶長6年(1601年)上野の国高崎
        城から佐和山城へ移ってきた。
        その後、直政は城を彦根山に移そうと考えたが実現せず病死、慶長8年(1603年)その子直継が父
        直政の遺志をうけて彦根城の築城に着手した。
        時の将軍家康は特に奉行を差し向け7ヶ国12大名にも応援させ、元和8年(1622年)現在の彦根城
        が完成、築城をはじめてから実に20年の年月を要したもので、城地面積約0.25km2(75,800余坪)周
        囲約4km(1里)高さ約50mの彦根山に築城した平山城である。
        昭和26年(1951年)に彦根城天守閣をはじめ天秤櫓・太鼓門櫓・西の丸三重櫓・佐和口多聞櫓を重
        要文化財に指定され、さらに同27年(1952年)には天守を国宝に、同31年(1956年)には彦根城一帯
        を特別史跡に、同38年(1963年)に馬屋を重要文化財にそれぞれ指定されている。
        また新日本観光地百選の一つとして琵琶湖八景「月明彦根の古城」として知られている。

              


    * (黒門橋)

                  


   


       


                          (全景は、パノラマでご覧ください)


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                               ● (入口へ) ●


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