(5)西の丸三重櫓

               


                         (画像をクリックすると、大きくなります)


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  ● 天守閣をでて、標識に従い「西の丸三重櫓方面」へ。
        (←天守閣・太鼓門櫓・彦根城博物館  ↓黒門  西の丸三重櫓→)

                  


    * (黒門方面へ)・・・(西の丸三重櫓方面へ)

                  


  ● 西の丸三重櫓(重要文化財)
       西の丸三重櫓は、本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置し、東側と北側にそれぞれ1階の続櫓を
       「く」の字に付設しています。
       小谷城天守を移したと伝えられている三重櫓には、天守のように装飾的な破風などはありませんが
       櫓全体を総漆喰塗りとして、簡素な中にも気品のある櫓です。

                  


    * (右画像/西の丸三重櫓入口)

                         


  ● 西の丸三重櫓内部へ

                  


    西の丸三重櫓のみどころ
       1西の丸は、三重櫓と東側の多聞櫓、西側の多聞櫓からの続櫓で防御されている。
       2三重櫓の三層部分は、監視と見張り用に窓が設けてあり、一、二層は攻撃用として城外側だけに
        窓がある。
        言い換えれば、攻めてきた相手を攻撃する櫓と言える。
       3彦根城内には三つの三重櫓があり、西の丸三重櫓(天守・山崎郭)はその1つである。
       4西の丸三重櫓は、嘉永6年(1853年)大修理され、柱や梁の8割近くが移築時のものから江戸時代
        後期のものに取り替えられている。
       5移築時の立証として転用材が、階段の床板や側柱等にほぞ穴痕が残っている。
       6西の丸三重櫓は、湖上からの攻撃や裏門からの要塞として、堅堀・登り石垣や廊下橋の縄張りも
        施されている。
       7彦根藩筆頭家老の木俣土佐守も常時三重櫓に詰め、湖上の警備・監視に努めている。

    西の丸三重櫓(重要文化財)
       彦根城内には、天守の外にも2棟の3階建物が在りました。
       1棟が現存する西の丸三重櫓で、もう1棟が明治初年に取り壊された山崎曲輪の三重櫓でした。

                 


    西の丸三重櫓の壁
       西の丸三重櫓の壁は、防火や防弾のために厚い土壁となっています。
       土壁は、竹を縦横に組んだ竹小舞を骨組みとして藁縄を絡め、それに荒壁、中塗り、白漆喰の順に
       塗り重ねています。
       建物の外面は、柱などを土壁で完全に塗り込める「大壁造り」、内面は柱を見せる「真壁造り」となっ
       ています。
       また敵が攻め寄せる外側は、防弾の効果を高めるために壁を二重に造って一段と厚くしています。
       その厚さは30cmを超えています。
       このように厚くなっているのは、防弾が必要な壁面の中位より下であり、それより上方は通常の土
       壁としています。
       西の丸三重櫓のどちら側が二重壁になっているか、確認してみてください。
       二重壁のある側に敵を監視する窓や鉄砲狭間もあり、眼下は深い「大堀切」の広がる外側になっ
       ているはずです。


                      


                         


  ● 西の丸三重櫓二階へ

                  


  ● 再び階段をのぼり西の丸三重櫓三階へ

                         


  ● 西の丸三重櫓三階

                  


                         


                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●


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