(5)北条氏照・家臣墓

           



    



                          (画像をクリックすると、大きくなります)

  

  ● 八王子城跡臨時駐車場へ駐車。

                          



  ● 八王子城跡方面に向かいます。
     左側に標識(←霊園前バス停 約15分   八王子城跡管理棟 約5分)
     右側が北条氏照の墓への入口です。

                  



  ● 標識(北条氏照の墓 約3分→)に従い進みます。

                  



                  



  ● 小さな橋を渡ると、すぐ左側に長い階段があります。

                  



  ● 登っていくと、途中休憩するベンチが。

                  



                  



  ● 氏照の墓の両脇には家臣の墓、背後の低くなった斜面にも沢山の墓や石仏が見えます。

     北条氏照及び家臣墓  東京都指定旧跡
            所在地 八王子市元八王子町3   標識 昭和3年3月   指定 昭和30年3月28日
       北条氏照は、早雲の孫、氏康の子で、関東管領上杉家の老臣大名定久に代わって永禄2年(1559)頃、
       滝山城主となったとされています。
       氏照は、ほかに榎本・古河・栗橋など数城を併有したとされ、後北条氏の勢力拡大に大きく寄与した人
       物でした。
       武蔵国と甲斐国の境に大規模な山城である八王子城を築いたことでも有名です。
       天正18年(1590)の小田原攻めでは、豊臣秀吉の武将前田利家・上杉景勝らの軍勢に対する家臣中
       山勘解由らの防戦もむなしく八王子城は落城しました。
       兄氏政を助けて小田原城にいた氏照も、開城後、兄とともに秀吉から切腹を命じられました。
       現在ある氏照の供養塔は、勘解由の孫水戸藩家老中山信治が氏照の死後100年忌の追善供養の
       ために建てたものです。   両脇には、家臣であった勘解由と信治自身の墓もあります。
                    平成24年3月 建設  東京都教育委員会

                   



      (左/中山信治墓)・・(中/北条氏照墓)・・(中山勘解由墓)

                        



                  



                  



                      




             



    




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                                ● (入口へ) ●


   

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