御主殿へは徒歩約15分、山頂の要害地区へは徒歩約40分 (画像をクリックすると、大きくなります) |
<< 曳橋−→築城当時の石垣−→御主殿虎口−→櫓門(やぐらもん)跡 >> 御主殿への経路 御主殿へは、城山川上流域を越えて向かうため、このあたりに橋が架かっていたと考えられています しかし、当時の正確な場所や構造、名称はわかっていません。 これまで使用していた「曳橋」という名称は、江戸時代後期の地誌「武蔵名勝図会」の記載によるもの です。 (文政3年脱稿:1820) 右下の拡大図にあるような、すぐに壊すことができる簡素な橋が架けられていたと考えられています。 今回整備した橋は、当時の復元としてではなく見学者が御主殿跡へ行くための通路として城山川に架 けたものです。 平成28年3月 八王子教育委員会 橋台石垣と曳橋 城山川の両岸の斜面に、橋を架けるための橋台石垣が発見され、御主殿へわたる橋の存在が確認 されました。 当時はこの橋台に簡単な木橋を架け、この橋(曳橋)をこわすことによって敵の侵入を防いだものと考 えられます。 橋台は検出した石垣の崩れた部分を新たに補い、想定復原したものです。 また、橋そのものは現代の工法で建造したものですが、史跡の景観に合うよう木造にしました。 ● 曳橋を渡ります。 ● 築城当時の石垣・・・曳橋を渡り左側 この石垣は、土の中に400年間崩れずによく残っていたので、検出したそのままの状態にしてあります 戦国時代の石積様式を示す全国でも貴重なものです。 その特徴は、この城山山中から産出する砂岩を利用して、一つ一つ丁寧に積み重ね、その隙間には 小石を詰めて全体として強固な石垣としていることです。 また、石垣の勾配が急なこと、石垣の裏側にたくさんの砕いた石を入れていることも特徴です。 曳橋を渡り右側へ ● 御主殿虎口 城や曲輪の出入口は虎口と呼ばれ、防御と攻撃の拠点となるようにさまざまな工夫がこらしてあります 御主殿の虎口は、木橋をわたった位置から御主殿内部まで高低差約9mを「コ」の字形に折れ曲がった 階段通路としていることが特徴です。 階段は全体で25段、踏面が平均1m、蹴上が36cmで、約5mの幅をもっています。 途中の2ヶ所の踊り場とともに、全面に石が敷かれているのは、八王子城独特のものです。 ● 櫓門(やぐらもん)跡 この踊り場からは、4つの建物礎石が発見されました。 両側の石垣の下に、敷石の面より10cmほど高くなっている大きな石がそれです。 礎石の間は、東西(桁行)約4.5m、南北(梁間)3.6mあります。 想定される建物は、通路の重要な位置にあることから、物見や指揮をするための櫓門であったかもし れません。 また、礎石のそばには、排水のための石組側溝も発見されています。 この礎石や石組側溝、大部分の石垣や敷石は、当時のものを利用しています。 振り返ると (全景は、パノラマでご覧ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |