(画像をクリックすると、大きくなります) << 唐門(方丈の正門)−→百観音霊場−→柏槇(ビャクシン)−→方丈−→ −→妙香池−→正伝庵−→一撃亭−→舎利殿−→正続院−→如意庵 >> ● 唐門(方丈の正門) 天保十年 (1839) の建立。 桁行きはおよそ3.3mで彫刻が見事です。 * (方丈方面から) ● 唐門の右側の入口から入ります。 * (方丈庭園入口)・・・(庫裡) ● 百観音霊場 百観音霊場の由来は、養老2年(718年)徳道上人が開設した西国三十三観音霊場と、鎌倉時代 観音信仰に篤かった源頼朝が開いた板東三十三観音霊場と、その後にできた秩父三十三観音 霊場の総称とされています。 円覚寺方丈前の百観音は江戸時代、拙叟尊者が百体の石仏を岩窟に泰安したことが由緒とな り明治に至って今北洪川老師が整備されました 円覚寺の百観音を結願所として円覚寺派の寺院に百観音巡礼の札所が開設されました。 昔は、霊場に写経を納め、その際に納経印をいただいていましたが、それが現在の御納経帳ま たは御朱印帳に変わったものとされています。 行く先々の霊場で観音さまの由来を知り、観音さまの御利益にあずかり、観音さまを念じながら お参りされると、心が清浄になり安心を得られることと思います。 * (右/ハクウンボク) ● 柏槇(ビャクシン) 市指定天然記念物 向かいの大木は円覚寺開山、無学祖元禅師により植えられたとの言い伝えから、700年以上の 樹齢だと言われております。 幹の中心に樹木医による治療跡が見ることができます。 開山様との御縁で平成24年に京都、南禅寺に若木が移植されました。 ● 方丈 本来は住職が居住する所を方丈といいましたが、現在は本山行事の中心的な場所となっています 正面に向かって右手の奥に「大書院」「小書院」が配置され、右手前の部分は禅宗寺院の台所で ある「典座/てんぞ」になっております。 今の方丈は震災後昭和4年に新築され、平成10年に改修工事が行われました。 日常は檀信徒の法要、日曜説教、坐禅会、本山各種研修会、宝物風人、更には講師を招いての 夏期講座やチャリティーコンサートなどに使用されています。 (全景は、パノラマでご覧ください) ● 妙香池(みょうこうち) 総門前の白鷺池と並び、円覚寺創建当初から知られた放生池である。 建武2年(1335)頃の円覚寺境内絵図にすでに見られる。 今回江戸時代初期の絵図に基づき、自然風の姿に戻し「虎頭岩」と呼ばれる岸の露出岩盤を景観 の中心として復元した。 ● 妙香池対岸の崖の上に、正伝庵(しょうでんあん)・一撃亭があります。 *正伝庵 第二十四世明巌正因(みょうがんしょういん)の塔所。 本尊は宝冠釈迦如来。 1348年(貞和4年)万寿寺(廃寺)内に創建された寿塔を1354年(文和3年)円覚寺に移しました * 一撃亭 ● 舎利殿に向かい左折。 ● 舎利殿 国宝 円覚寺の舎利殿には「佛牙舎利/ぶつげしゃり」と尊崇されるお釈迦様の歯牙をおまつりしており ます。 その由来は将軍源実朝公が宋の時代、中国能仁寺(尼寺・廃寺)の佛殿(鎌倉時代末〜室町初期 に再建)を移築したもので中国、南宋時代の建築様式に学んだ禅宗様建築の代表的な遺構です 関東大震災に倒壊しましたが、昭和4年に復元しました。 内部正面に佛舎利をおまつりする宮殿が安置され、その前に鎌倉彫の須弥檀があり、観音菩薩 と地蔵菩薩がまつられています。 隣は円覚寺派の厳格なる修行道場となっており、円覚寺開山 無学祖元禅師をおまつりした開山 堂とともに円覚寺随一の齒邃の地となっています。 正月の三が日、5月の連休日と11月の宝物風などの特別期間以外は修行の為、拝観を制限させ て頂いております。 * (右画像・・舎利殿/パンフレットより) ● 正続院(しょうぞくいん) 円覚寺の開山無学祖元禅師の塔所(開山塔)。 禅師は北条時宗公の招請で弘安5年に当山を創建。 現在は専門道場として修行の場となっています。 ● 如意庵(にょいあん) 第三十六世無礙妙謙(むげみょうけん)の塔所。 本尊は宝冠釈迦如来。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |