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<< 門−→受付−→附属屋(車庫)−→トイレ−→玄関−→洗面所−→応接間−→二階へ >> ● 門を入ると、左側に受付があります。 ● 附属屋(車庫) 旧朝倉家住宅には大正8年の建設当初から車庫がありました。 市街化が急速に進む東京の周縁部で、自動車は必須の道具となっていきました。 屋根を支える洋風の構造、コンクリートの土間、両妻の内側の波形鉄板など、普及し始めた頃の車庫 の仕様を良く示しています。 のちに管理棟として改造されましたが、詳細な痕跡調査によって創建当所の姿に復原しました。 ● トイレ(附属屋となり) ● 玄関 主屋は、主人が使用していた部屋、家族が使用した部屋、使用人が使用した部屋及び広間に区分す ることができます。 玄関左手に12畳半の応接間があり、右手は洋間となっています。 2階には格式の高い15畳と12畳半の広間があります。 また、廊下からは庭園を俯瞰することができます。 1階に降りると杉板を多く用いた杉の間(三間)、茶室、土蔵があり、洋間に改装された第1会議室は、 かつては仏間・中の間(居間)・寝間の3部屋からなっていました。 ● 案内板に従い、「応接間」方面に進みます。 ● 突当り左側に洗面所があります。 ● 木製レール 日本の建築では、縁先の戸は障子戸であり敷居の上を滑らせていました。 しかし、明治時代になると、障子戸はガラス戸へと変化します。 重くなったので、ガラス戸には車輪が組込まれ、敷居の代りに鉄のレールの上を戸が行き来するよう になりました。 旧朝倉家住宅のガラス戸は足元が鉄ではなくて堅木のレールになっています。 鉄錆による汚損がなく、一つ一つのレールが短いため交換も簡便だったためと思われます。 ちなみに、これが広く普及したということはなかったようです。 ● 応接間 応接間は書院造となっています。 書院造は、掛け軸などを飾る床の間、文具などを飾る段違いになった違棚、そして書院により構成され ています。 朝倉家では正式に客を迎えるときにこの部屋を使用しました。 ● 二階へ (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |